FORGE DE LAGUIOLE ブランドコンセプト&ヒストリー

メイド・イン・ライヨール

フォルジュ・ド・ライヨールの工房は1987年にオープンしました。それは多くのライヨールを愛する人々が、ライヨール村にライヨールナイフ工房を復活させる夢を現実にした瞬間でした。今ではフォルジュ・ド・ライヨールの全製造工程は起源である、ここライヨール村に戻り、作られています。
フォルジュ・ド・ライヨールの商標はその製品の起源がライヨール村であることを保証します。お使いの製品がフォルジュ・ド・ライヨールであることをご確認ください。フォルジュ・ド・ライヨールは伝統とノウハウはもちろん、原産地を大事にしています。
ライヨールナイフのルーツは職人と彼らの経験値に裏付けされます。フォルジュ・ド・ライヨールは無形文化財であるEPV*(フランス伝統技術継承企業)に指定されています。しかし、この伝統業が単なる美術品としてだけではなく、日々時代に必要とされるより良い製品であるよう、変わらぬ高品質をお届けできるよう努力しています。
元来フォルジュ・ド・ライヨールそのものが「メイド・イン・フランス」であり、もっと言えば「メイド・イン・ライヨール」を世に打ち出すために立ち上げられたプロジェクトです。これはフォルジュ・ド・ライヨールの経営哲学そのものです。


* EPVとは…フランス政府により、伝統と工芸技術を認められた国家公認のフランス伝統技術継承企業のこと。

ライヨールナイフの始まりと『フォルジュ・ド・ライヨール』の歩み

古くはライヨール村の職人によって「カピュシャドゥ」と呼ばれるシンプルな短剣であったライヨールナイフは、ライヨール村のあるオブラック大地の農夫達に多様な目的で使用されていました。
カシミール・アントワーヌ・ムーランが最初のナイフ職人となり、ライヨール村に工房を設立したのは1829年のことです。当時作られたのはストレート型でバネ開閉式のものでした。装飾も現在の「みつばち」ではなく、ハンドル材は骨や象牙で、鳥のくちばしを象ったもので、このモデルは1900年まで作られていました。
時は過ぎ、ピエール・ジャン・カルメルが彼の技術で、折りたたみ式ナイフに羊飼いや農夫が作業に必要とした千枚通しを付けます。1850年から1860年には現在に近い形のライヨールナイフが登場、進化していきます。
1880年にはライヨールナイフにもう一つの機能であるコークスクリューが加えられます。これは都市近郊でワインがボトルで売られるようになったせいですが、もう一つにパリのカフェに出稼ぎに出かけた村の人々のリクエストに応えるものでもありました。カフェのオーナーやウェイターたちはこの伝統に敬意を払い、この三徳ナイフを顧客の為にこぞって使用したのです。
1900年、ライヨールの工房は最大人数30人もの職人を使いナイフを製造していました。同年パリ万博にて職人のパジェスとカルメルが金賞を受賞、その後10年で20個ものメダルを受賞しました。
しかし第一次世界大戦(1914年-1918年)によってライヨール村での刃物製造業は壊滅的な打撃を受けます。終戦前にはほとんどのライヨール村での製造が止まり、近くのティエールに移されることになってしまいました。そして1960年にはライヨールの最大顧客である農業従事者そのものが激減、手作りのナイフの需要は最小に落ち込みます。1980年に入るとライヨールでのナイフの製造はほとんど途絶えることになってしまったのです。
1985年、ライヨールナイフの熱烈な支持者たちが、ライヨールナイフをその誕生の地であるライヨール村に復活させようと動き出します。フォルジュ・ド・ライヨールの復活は実に、1987年のことでした。

FORGE = 鍛造

厳選された鉄で作られる刃は全て鍛造されています。フォルジュ・ド・ライヨールのFORGEは鍛造の意味を表します。

デザイナー達とフォルジュ・ド・ライヨール

フォルジュ・ド・ライヨールは伝統的なノウハウを継承し、製品を作り続けると同時に現代の芸術家たちをインスパイアし、ユニークで新しい製品をも生み出しています。フィリップ・スタルク、エリック・ラフィー、ソニア・リキエル、ジャン・ミシェル・ウィルモット、クリスチャン・ギオンなど多数の芸術家が各々のライヨールナイフを発表しました。